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共依存劇 [堂本剛]

プラトニック
第4話いつかの少女(少年)

ガスタンクDSCN1743.jpg
下着姿、ジュニアアイドルと土下座
オンナを捨てた、を視覚的に表すとなると救世主の前で平然とボタンを外し下着姿にもなれる。
ショウジョを捨てた少女は自らの意思で扇情的なポーズをつくりカメラのフェンダーに納まる。
オトコを捨てた、を視覚的に表すとなると聖女の前でためらいもなく頭をすりつけ土下座で謝まる。

オンナの自尊心を捨てるということは少女の純情を無くすということで少女の作法では無い。
少女の作法(純情)を親の借金で金に換え早くから異性に媚びると「下品」が身に付くと怯える。
オトコの自尊心を捨てるということは少年の純情と50歳の自分の人格や自信を捨てるということ。
4話では沙良さん美和さん臼井さん3人のシーンは「いつかの少女、少年」の痛みが心に残ります。
共依存という自己犠牲の献身を脅迫的にするが根底には献身相手をコントロールしようとする策略がある。
自分を捨て、面倒を見るが言うこときけ、ってことなのです。
可憐な少女の作法には「残酷」もあり、両極端を普通にするのです。

沙良さんの台詞
ごめんなさい。
わたしの方から理由を聞いたほうがいいのかしら
なんか昔からそういうの苦手で
相手の人が話してくれるの待ってしまうところがあるの

離職しようとしている臼井さんを引き止める言葉が見つからない沙良さんです。
「青年」のアドバイスで臓器移植の為の偽装結婚を打ち明け引き止めるのです。

青い月DSCN1818.jpg
美しいということはそういうことです。
美しいということは回りが放っておきません。
美しくてワガママな人はたまらなく魅力的なのです。

共依存が沙良を支えます。
洋服を脱ぎ捨て本能のまま下着姿で「青年」にすがる・・・
心を開き自分から話をする沙良さんです。
「嫌われたく無い」
少女の頃の「可憐」(純情)が痛んだのかもしれない・・・と回想するも過去形です。
少し自尊心がもどり少し自己愛が芽生え可哀想と客観視できるようになった瞬間でした。

「作法」とは別に「行儀」というものもある。
行儀は親、学校、目上の立場からくり返し教わることで身につく。
幼い頃から姉と二人の生活のせいなのか弟、和久君は行儀が悪い。
脱ぎっぱなしの靴、歯止めの効かないスィーツ、他人の食事のつまみ食い、タブーな失言とかもね。
姉の沙良さんは弟君が大人になった時に困らないようにを想定していない現れなんだとも思えるが、
沙良さん自身も母親に教わることもなく大人になったのだとしたら・・・。
もし「行儀」を身につけていたとしたら自尊心を持ち自己を愛し大切にする大人になっていたでしょう。 

 


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