泊まる,で止まった [LoveFighter]
あたくしごとB・B・Bパーティー
昨日からキャンプでBBB(ばーす・ばー・べー)パーティーでまさかのぶっきんぐ
ついにMASK→SHOCK連続観劇がSTOP、SHOCKはまったく初めて経験というお二人を招待することで新規さんの拡大に貢献です。
ターニングポイントな平成最後のSHOCKでした。
キンキのアクアパッツァ
総勢10人、朝食はフレンチトーストとアーヒショ、キャンベルのクリームスープ。
キャンプの朝はパーコレータで沸かすコーヒー。
コールマン社ではないのですが伝統のアンティークな米製ホーローは頑丈で現役。
赤煉瓦のLIVE [奈良ごとLIVE]
堂本剛の
Fashion&MusicBook
bay fm78
奈良少年刑務所がロケ地の「少年たち」の話題でスタート。
後輩ジェシーくんが出演もようです。
ジャニーさん総指揮の1969年初演ミュージカルの演目の実写版映像
奈良少年刑務所の設計者が山下啓次郎で孫さんがジャズピアニストの山下洋輔氏、明治の名建築保存の会長さんでもある耐震改修後は「星野リゾート」が高級宿泊施設に着手する。
高級ホテル・・・泊まれ・・・ない
2008年の100周年では山下洋輔のLIVE開催・・・赤煉瓦で音楽祭、そっちの方が気になるのです。
カップヌードル [ココロ目]
朝の連ドラ「まんぷく」がね・・・ホコ天の食べ歩き文化を創世してカップヌードルが大ヒットで終わるらしい。。。
自分の中でのカップヌードルはヤッパ武道館、ROCKライヴで食べたカップヌードルが事件だと思う
仕事を終えてギリギリ間に合せるための登る坂、入場して席を確認してからテラスで超絶カッコつけてオシャレさんなのです。カップヌードルを食べるのが・・・
ファッションのお手本はananでバッチり決めてました。
ということでお世話になったウドー音楽事務所50thのポスター展に行く。プロモーターも多いのです、ウドー音楽事務所は別格なのです。
そりゃー懐かしのミュージシャンがいっぱいです、現在も現役も含めていますいます。
でもって剛さんの生まれた1979年4月10日にLIVEをしていたのはボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ
1979年4月1日来日5・6日新宿厚生年金会館7日渋谷公会堂
4月10日中野サンプラザホール
11日大阪厚生年金会館13日大阪フェスティバルホール
ちなみに1979年の3月アース・ウィンド&ファイアー、クイーンも三度目の来日、5月にビリー・ジョエルが二度目11月にマービン・ゲイもLIVEをしてまして70’s最後の年は終わるが現在の剛さんが大好きと公言するアーティストが二組もいるのだ。
1979年とは輝く60’s〜70’sの終了し音楽シーンが激変する80’sの前夜の年です
20年後ドラマ主題歌としても多くの音楽が次世代へとツナグ役目をするし、本人の音楽性にも多大な影響が60’s〜70’sと感じられるからROCK、FUNKが好きになったんだと思う。
過去の参加LIVEポスターをチェックし遍歴をみながら最後にたどり着いたのがTSUYOSHI DOMOTOなのでした。
無性に日清カップヌードルを食べたくなった。
キクロンさんのルーツ [LoveFighter]
LFの謎かけが続く
この時期にタワシ、といえばキクロンさん、和歌山のメーカーで県特産の棕櫚(しゅろ)繊維を加工して足拭きマット、亀の子タワシが大ヒットしその後はキクロンスポンジで全国制覇した。TBSドラマ「夢のカリフォルニア」でご縁ができたメーカーさんです。Be-goのダイハツ工業も大阪府池田市が発祥の地、どうも剛さんは近畿圏の製造業と関わりが多い・・・。
なぜタワシなのかは全くわかりません。
2002年の桜 [堂本剛]
「街」のエンディンングが衝撃だった2002年のTBSドラマ「夢のカリフォルニア」から17年経つ。桜の開花とともに思い出す。理由はあの等身大の青年山崎終が確実に中年にさしかかっていること、父親役の岸辺一徳さんも母親役の余貴美子さんもそして愛すべき始兄ちゃん宮藤官九郎、国仲涼子ちゃん柴崎コウさんも同じ業界で大活躍なのです。そしてドラマ最終話のロケ地「東急東横線中目黒駅構内」と縁を感じる中目黒の目黒川両岸の桜まつりが人気エリアで大盛況。今年は堂本剛さんの名入り提灯が32個に増えたとの報告がツブヤカレテタ。探すだけでも難儀そう・・・だ。
2002年3月23日は応援するようになって初めて役者堂本剛を直近で見ることができた日です。
インタビューする側される側 [RADIO]
堂本剛の
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bayfm78
リスナーからの質問
「いま一番に楽しみにしていることはなんですか」
質問に答える前段で、20代30代そして40代となると聞かれるけど、この世界で十代から質問する側を考えて、困るんじゃないかとか、何か付け足して答えなければならない人生でした。質問者の立場を考え合わせて答えるをしてきた。
剛さんが言う「セパレート」は「アイドル」とカテゴライズされた中で沢山の事情に合わせて答えてきた今までで、自分を貫き通したことはほぼないと。
で、昨日のマリナーズのイチロー選手現役引退会見を思い出した。深夜大勢の報道陣が集まり生放送で90分、イチロー選手は記者の質問にはシビアで「今その質問いる?要らないでしょう」と社名、個人名を名乗る質問にも容赦ない。会見全体がヒリヒリする緊張感で、なんでも答えましょうでスタートとしたが記者側も選りすぐりの質問に独特の表現、言い回しで答えるのです。「僕、言ってることおかしい?」と記者たちの反応を見ていた。翌日の記事ではスポーツ紙の番記者はそれらしい、TVはワイドショーなりの報道。ただネットだと記者独自の視点から独特の記事が面白かった。
・若い頃からイチロー選手はインタビューアには容赦なく質問の本意が不明確なのや記事に都合の良く収まるような言葉を絶対に言わない。イチローに鍛えられジャーナリストとして新しい言葉を引き出す力をつけたという記事の内容で真摯に記者と対峙する真剣さが伝わるベテランのイチロー担当記者のものが一つ。
・最後の質問に当たる「孤独を常に感じていたと言ってましたが孤独を感じたのはどんな時でしたか」この質問の回答が全世界で生きる日本人全員に力をくれる回答でた。
「(海外生活で)外国人になったことで人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんですよね。この体験というのは、本を読んだり、情報を取ることができたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないので。孤独を感じて苦しんだこと、多々ありました。ありましたけど、その体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだろうと今は思います。だから、つらいこと、しんどいことから逃げたいというのは当然のことなんですけど、でもエネルギーのある元気のある時にそれに立ち向かっていく。そのことはすごく人として重要なことではないかと感じています。
この部分を取り上げてライターさん自身の体験を踏まえ大共感したと記事でした。
野球を愛し貫いたのでやりきり後悔はしてないと潔よいイチローの最後のコメントは
お腹すいてしまったね、最後。いやあ、長い時間ありがとうございました。眠いでしょう、みなさんも。じゃあ、そろそろ帰りますか。
「アイドル」とカテゴライズされた剛さんと「音楽」にカテゴライズされた仲間のバンドメンバーの中にいても感じる孤独感。セパレートの壁で隔離されてもそれを取り払いアルバム、LIVEを作りファンに届けたいのだと。
でも今一番楽しみにして自由になるのは
ホットケーキを食べることだとおどけるのもファンを喜ばす「パフォーマンス」なのでしょうね。
20代30代で貫いた信念は野球のヒーローのイチローが実績で文句を言わせない、イチロー45歳、剛さんとは5歳違いの天才は50歳まで現役を続けることが執念だったが引退し、耳の違和感を抱えた音楽の才能は40歳、明日はどうなるかわからないと答えるのでした。