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理不尽 [ココロ目]

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胸が痛くなる理不尽な事件です。
20年前のあのドラマが.呼び戻されてしまった。
教育の現場の心の配りも、社会との関わりと責任も何も変わってないないのだろうか・・・
痛感させられたのは
「手を差し伸べています」のカタチの見える報告があっても、「子供たちから頼られています」この自負が見えて無い。
「こども110番」のステッカーはあいかわらず街で見かけるのですがこれも「カタチ」なのかな。。
イノチの扱いイノチとの向き合う至上の愛のドラマより実社会は残酷なので言葉も出ない。
昔のドラマを「劇」として完結したが、現実はあまりにも残酷で理不尽です。
普通に人生を送れるはずだった被害者の少女に哀悼とやすらかに眠って下さい、と願わずにはいらない。
そして母親の悲しみです。

あれしちゃダメ
これしちゃダメ
命は大切
命を尊い

を教えることよりも母親が絶望に泣くことはしてはいけないを知って欲しい。
母親が笑顔になることはどんなことなのかを教育の場でも教えてあげて欲しい。
そう言う自分も忌避感で「人間・失格〜たとえばぼくが死んだら〜を嫌った。
問題から目を反らし気がつかない振りをする、見なかったことにする、自分を消す。
20年経っても影山留加も大場誠も存在するというのにね。

メンタルケアの先進国アメリカで何故「精神分析」のセラピーが盛に行われるのか、日本にいると不思議でした。
社会を驚愕させる事件を見てると惨事と隣り合わせの市民生活を身近に感じ今になって「セラピーの必要性」を知ります。
何をどう対処していいのか皆目と見当がつかない、自分の心のメンタルケアは自分でしろってことなんだ。
この国でも専門の医療分野の精神分析医がDV、モラハラ、子供の心のケアのガイドラインを立ち上げて市民の指標を示して欲しいと思うのです。

20年前のあのドラマも悲劇は「母親」で救いも「母性」でした。
愛する夫の服役の時間軸を耐え失った兄の分身ともいえる「弟」と共に出迎えます。
家族の普遍の無償の愛でしか救いはないと思うのですが、それ以外でもくり返えさない何かがあるのではを考えます。

一瞬でも「最悪」を止める何か・・・です。

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