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33歳拓郎・剛33歳 [shamanippon]

 

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赤い鉢巻き、TシャツにはTAKUROH'80の赤いロゴ

shamanipponの29日のオーラスの大合唱から離れられない自分は
彼らに会いに拓郎のブルーレイを見る。
彼ら、とは生きてる観客に会うためです。

ブルーレイ仕様には1975年の「つま恋コンサート」ともう一つ「篠島アイランドコンサート」が同時収録されているのです。
1979年度に愛知県知多町の離島、篠島で開催されたコンサートですがこちらはリマスター盤として奇麗な画像になっています。
日本のウッドストック、「つま恋」が取り上げられることが多いが篠島のオールナイトもかなり熱い。
夜明けの「人間なんて」2万4千人の大合唱は篠島でもありました。
篠島の大合唱シーンもオーディエンスの活き活きした顔はすてきです。
 
1979年堂本剛が生まれた年です。
当時拓郎は33歳現在の剛さんと同じ年齢になる。
その偶然も何か縁を感じた。
33歳の夏をLIVEという繋がりでファンを築いた思い出が一緒なのですから。
離島に特設会場を設営し2万4千人を一同に集めるという規模の大きさでは比べようも無く大掛かりです。
7月26日〜27日未明と、ほぼshamanipponの日程と変わらない夏休みのイベントです。
shamanippon shipキャパ600人×41公演の2万4千600人と動員では同じくらいです。
 
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スクィンクスと少年ふたりに呼ばれたロンゲパーマの33歳拓郎。
 
当時のファンレポによると第一声は
「夜までステージ許可してくれた地元篠島へのお礼とステージをつくった人への感謝の拍手」を観客に求めている。
徹夜LIVEの助っ人は小室等とデビューしたばかりの拓郎を尊敬する長渕剛、観客に「剛」と呼ぶように希望をしている。
どうやら「剛帰れ」コールが起きたが「拓郎サンに時間をもらってる」と押し返したらしい。
筋金入りのタフマンです。
 
可笑しいのは衣装がTAKUROH'80ですでに来年の80年代を先取りしていること
70年代の最後を見送るコンサートだったんですね。
この時に実際に参加したファンにしてみれば苦労して辿りついた知多半島、
篠島と海辺の潮の匂い、汗と日差しは拓郎の音楽ひとつで帰ってくるんだと思う。
同じ場所、時を共有したものだけが許される「キュン」とする何かを連れ戻してくれるのでしょう。
 
当時は拓郎ファンでもないので興味は無かったが画面で通じ合う拓郎と観客を見てるとうらやましいのです。
あの頃通った武道館にその後も外国からのアーティストは再来日し、LIVEには来る、だがあんなに熱い想いは無いのです。
それを思うと2012年の夏は確実に通じ合う体験をした。
あの共通の時間は 自分たちの中でもこんなふうに語り次がれていくのかなぁーと思うのです。
 ベタな創りだけに70年代の記憶が鮮明になる篠島アイルランドコンサートの映像を見てると
7月14日には堤幸彦監督制作のDVD用カメラが入りました。
どんな映像でどのような感動を記録として残してくれるのかなぁ。
少なくとも29日、オーラスの前代未聞の会場を外までつなげたジャムセッションのシーンは期待できない。
あの日を全ての剛さんファンに届けたいと思うだけにあの感動を堤監督ならどんなふうに残してくれただろうかと思うと残念です。
 
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パーソナリティーをしてたラジオ番組「セイ・ヤング」でLIVE生放送を敢行。
篠島に来れない全国のファンにも届いた。
当時はコンサート開催告知も会場情報も全てラジオだった。
 
篠島アイルランドコンサートのエンディングは
 
「また逢おう また逢おう また逢おう」の絶叫で終る。
 
 
今年は一回限りのコンサートをコアなファンと共に過ごされたようです。
本格的な復帰を楽しみにしていますヨ、拓郎。
今なら貴方の歌を懐古ではなく勇気を貰える歌として楽しめます。

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