サイケディリック幻視聴 [shamanippon]
HEIAN FUNK二日目
といってもブルレイの観賞二日目突入
薮内省吾氏(ROBOT)編集の画面からはサイケデリックが溢れ還っている。
会場をそのままカメラに納め映像化しても赤青黄のカオスなサイケになるんです。
だから編集でたまに差し込まれるモノクロ映像がいいかんじにやすらぎとなる。
平安神宮LIVEのヘビーリピーターにとっては見慣れたLIVEの中に見つける些細な場面に感動する。
ケレンな編集なれどそれらをすり抜け見てしまうのは意外と普通なこと。
最終日の激しい雨足とビニールで守られたステージの異様さです。
要塞のようにも見える雨避けテントばそれはそれで風物としてあの日を伝えてくれます。
映像を仕上げ最終的に出来上がった本編に見合ったタイトルが横英文字「HEIAN FUNK」に決定した、そんな感じかなです。
コンピューター加工映像で幻覚的視聴を延々とを見せられると・・・自然界の美しさとシンプルさが際立つのです。
平安神宮という空間の神聖さはどうしても抗うことができない絶対的な「何か」がいる。
それが万物の精霊と感じる以上は最新テクノロジーもレーザーのライティングも脇役でしかないと思うのです。
今回のブルーレイは作品として「FUNKY」が全面の出てはいても心に残るのはやはり実体験し心を掴まれた「自然の産物」
LIVEには参加していない音漏れ組としては最終日の映像を見つけ出すたびに「未知との遭遇」状態になります。
つまり「どこかで見てるようで実体験の無い風景」です。
その為体験していないことがイメージを呼び出させる。
今年体験した奈良燈火会のイベントで見た歩く白鹿との遭遇の衝撃が戻ってくる。
LIVE会場のステージを横切るのではなくそのまま客席のオーディエンスの頭上を歩いたら・・・なんて妄想するのです。
平安神宮という他とは一線を画する場所こそ「神秘」「幻想」「幻覚」が似合うと思うので
「瞬き」のスモークの中で歌い上げる姿を見ていてそう思う。
TUKU FUNKのセッション
2013年の初日は初めて平安神宮上空にクッキリとお月さまが見下ろしていたんだけどなぁ。
まっ脳内記憶では消えないメモリアルです。
goodsのコンセプトと同じで作品で与えられるだけではイマジネーションは楽しめない。
自分の視点と視線大事にします。
平安神宮さんにはリリカルが似合うのです。
そう思うのは何回見直しても・・・
そう思うのは何回見直しても・・・
赤いSinger
何べん聴いてもいいということ。