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Songsの中の拓郎 [RADIO]

RADIOで「優しく人を傷つけない言葉は遠回しな表現になり、ピンポイントではなくなる」
優しさを考えずに伝える時期が来ていると。
このコメントを聞いて禅問答な歌詞から素直に自分のこころに沸き上がる言葉が
歌詞になるんかなぁ〜と期待する。
 
月刊Songsのセルフライナーノーツでもそれが感じられた。
拓郎の人生を語らずはLIVEテイクで聴くように渡された・・・とある。
篠島アイランドLIVEであれば拓郎28歳で書き上げ、33歳で歌うLIVE音源です。
拓郎が何歳のときのLIVEテイクなのかが気になります。
篠島LIVEだとしたら1979年は剛さんと生まれた年、拓郎33歳と同じ年齢(カバ録音時33歳)何にリスペクトしたのか
カヴァー曲を聞けば何かしら感じるはずです。
 
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今思ったことしか歌わない
自分の言葉でしか歌わない
 
それをこの曲の詞だと思う歌詞です。
「結婚しようよ」「旅の宿」のメジャーなヒット曲でフォークソングが市民権を得た。
若者の支持が商売になることをレコード会社が認識した。
吉田拓郎のブレイクで音楽業界が一斉にフォークに乗っかかった。
その当時の拓郎への偏見はヒット乗ってる「フォーク界のプリンス」のイメージを持ってしまうことになった。
オトナが色つけしてることなんざ見抜けないで、それが日本の音楽から遠ざけた理由です。
 
それより友のひと言
 
「ジャズはエラがいいよ」
「日本じゃ浅川マキだよ」
 
と教えてくれそれに従った。
京都であのサッチモを蓄音機とレコードを聴かせてくれた友の口癖は
 
「東京は遅れてる」
 
つまり自分の力で本当に良い音楽を探さないし、
流行にのる風潮をバカにしてた。

京都の友は街外れの「ギイ」と言う名のJAZZのお店でこうも言った。
 
「本当なら東京のヒトはこの店に入れないんだよ」
 
心臓バクバクで音楽を聴いていてアンダーグランドの世界が少し解った。
その店はメジャーに興味がないのではなく、メジャーじゃ創らせて貰えない音楽がそこにある。
それを知ったのです。
 
今思う言葉をストレートにぶつけられる世界、それが「人生を語らず」になったと知るのに40年かかった。
京都の友だち夫婦は浅川マキさんの死とともにお店を閉じてしまった。
一度生で聴いてみたかったです浅川マキさんの唄。
本当に唄いたい自作の詩しか唄わなかった本物の唄うたいを聴いてみたかった。
 
「人生を語らず」本当に歌いたいカヴァーであれば伝わるのです。
 

ガンバラないけどいいでしょう
今の気持ちは拓郎らしいね、。

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