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ココロ見・自分 [ココロ目]

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ココロ見1.png
堂本剛のココロ見テーマ「自分」
刀匠:河内國平 http://www.mugenkan.com/

スゴイを通りこしてスサマジイ
困難を簡単に言う
無になる禅僧と変わらない修行を「アホになればできる」とにべもなく言い切る。
その「無」にアホで辿りついてる。

炭を切るだけで3年
鎚打ちだけを5年
炎を見極め火造りに一生・・・って。
その間猛烈な暑さと熱さと集中力。

憧れで刀鍛冶になりたいは通用しない世界でした。

 

自分の鍛冶屋はこの歌で小学校の教科書から消えた唱歌です。

村の鍛冶屋
一、
暫時(しばし)も止まずに槌打つ響
飛び散る火の花 はしる湯玉
(ふゐご)の風さへ息をもつがず
仕事に精出す村の鍛冶屋

二、
あるじは名高きいつこく老爺(おやぢ)
早起き早寝の病(やまひ)知らず
鐵より堅しと誇れる腕に
勝りて堅きは彼が心

三、
刀はうたねど大鎌小鎌
馬鍬に作鍬(さくぐは) 鋤よ鉈よ
平和の打ち物 休まずうちて
日毎に戰ふ 懶惰(らんだ)の敵と

四、
稼ぐにおひつく貧乏なくて
名物鍛冶屋は日日に繁昌
あたりに類なき仕事のほまれ
槌うつ響にまして高し

野鍛冶と呼ばれる生活用品、農耕用具の鍛冶屋さんの歌でシゴトの辛さを励ます応援歌なのが解った。
良き仕事をする野鍛冶が村にいれば農作物にも良い結果につながるってことです。
民の幸せのために刀匠とおなじ仕事ぷりが歌詞に込められている。
野鍛冶の対極にあるのが殺生の道具「刀」に求められるのは刀匠のような禅にも通じる精神の技。
「刀匠」のように神様へ奉納する日本刀はスサマジイ工程とスサマジイ執念と「アホ」になってやらないと「聖剣」はできないと思うのです。

匠は「アホ」には素直なココロを持つ人間のみ「アホ」を継承できるんだと。
アホは楽
素直でなければアホになれない

う〜〜〜ん。宮大工の達人と同じ答えでした。

芸術家についての説明もスサマジイ
芸術家が芸術を創るのではない。
アリ塚の造形に感動するが制作者の蟻は芸術家ではない。
アーティストが創るからアートでは無い。
作品が出来上がったときにどれだけの人に感動して貰えるかが作品の真価だと言う。
成る程納得です。
刀匠、河内國平翁は奈良東吉野に住む仙人でした。

番組を見終わっての感想はコドモの頃に憧れた刀鍛冶ではなく野鍛冶のごとく民のチカラになる道を剛さんは選んだように思うのでした。

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