もう一つのship [shamanippon]
kyoto思い出しmemo
9月17日平安神宮LIVE翌日京都で見たこと
ship
1864年上海からshipワイルド.ロヴァー号でアメリカへ脱国のモニュメント
3連休の京都はどこもかしこも人人人。
市内移動も大渋滞で帰りの新幹線も不安です。
で、人のいない場所で思いついたのが京都御所。
そして来年は大騒ぎになると思われる某大学へ向かう。
飯島八重さん
かなり以前に旧姓、山本八重の存在を知り封権制度の中で意思を貫く女性に関心を持った。
戊辰戦争で新式スペンサー銃を持って闘った会津若松の武家のお嬢様。
風変わりな個性をパートナーが認め愛したことも心を動かされた。
ハンサムウーマンは彼女の生き方をそう呼んだご主人の言葉だった。
キャンパス内を自由に見学出来るものか調べもしないで守衛さんに尋ねる。
8ページの小冊子も用意され大学内のキャンパスツアーなる地図まで頂けた。
祝日で学内には学生さんもまばらで「人の居ない京都」が実現した。
地図を片手に重要文化財のレンガ造りのキャンパスを自由に散策。
吹き抜ける風を受け構内のベンチに腰掛けて「小冊子」を読み、「煉瓦」を眺めました。
石の文化は洋風の象徴です。
まるで中世のヨーロッパに旅行しているような不思議な体験でした。
ハイカラ(襟の高いシャツ)な文化も男性は羨望されてもいざ婦人がするとなるとバッシングは八重に当たる。
エピーソードが漫画で紹介される小冊子は見応え十分なものでした。
ちなみにダンナさんは奥さんを
「八重さん」呼び
奥さんはダンナさんを
「ジョー」と呼ぶ
日本初のキリスト教の大学です。
この大学設立には日本でのキリスト教主義大学設立の訴えに援助金の約束を取り付から始まる。
大学設立資金調達で奔走する同志社大学創設者新島譲の姿が目に浮かぶ。
特に良き理解者で協力者の土倉庄三郎が奈良吉野の山林王で新島への援助、自由民権運動の出資者というのが心に残った。
吉野杉は「教育と民衆の自由」を支えた時代の花形産業だったんだね。
まさかここで「奈良吉野山」が登場するとは思いもしなかった。
プロテスタント派煉瓦造りでは最古の礼拝堂。
同志社大学卒業生、関係者家族でキリスト教への理解のある者は結婚式が上げられる。
アメリカ在住のB.W.クラーク氏が亡くなられた子息のメモリアルホールとして寄付され資金で建てられた、クラーク記念館の尖塔。
館内見学は事前の予約と学生ガイド同行でないと入れない。
現在ミニリサイタルなども開催するイベントホールにもなっている。
国の重要文化財で聞く音楽です。
理科教育を目指す新島の情熱にアメリカの実業家J.N.ハリス氏の寄付で建てられたハリス理科学館。
新島先生は日本初の理学博士です。
今出川キャンパスに今も残されてる建築物は当時のアメリカ個人の援助、出身校のアーモスト大学と高い志に賛同された多くの支援が見てとれた。
チカラ無き小国が目映い大いなる欧米に近づくため「教育の現場」を新島譲と宣教師J.D.ディビス二人の先生に生徒八人から始まった大学です。
現在13.000人の学生が学びます。
来年2013年NHK大河ドラマでその物語が展開される。
そして京都御苑
見事に誰も居ない
ジャリジャリジャリと砂利を歩く。
出てきたのがうっそうとした森。
市中真ん中の国民公園 原生林の散歩路。
ここではガイコクジンのジョッカーと遭遇。
彼らは森の有り難さを満喫していました。
NYのセントラルパークのようです。
shamanippon的京都memoのフィニシュはこの名前も解らない黄色い花でした。自分も目に止まるのはこんな何でも無い野の草でした。
京都の風景としてはこれが見納め。
野鳥天国の森はヒンヤリして気持ちが良く、落ち着きます。
奈良が好きになってから趣味が完全に変わったかな?。
台風接近中すでに自分の一便後は40分遅れで運行中。
台風に追いつかれ新幹線車窓の天気で雨粒が叩きつけてた。