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歌わないヴォーカリスト [RADIO]

堂本剛の

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bay fm78

東大寺の泪、歌えないヴォーカル

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10月6日撮影の東京スカイツリーはテッペンは雲の中


15日開催の東大寺LIVEの感想がリスナーからのメールでスタート


奈良人アーティストとして役目を果たす奉納演奏をするも最後に人として立つと弱さと強さを見せるストリーは考えていた。最後「街」に関しては哭くことを懸念して予測はしていた。着々と歌が途切れないで続くも「コノ カラダ マダ イケルサ」の時に色々な思いがこみあげきて最終的に最後のサビの一行しか歌えなかった。ステージで人様の前で泣くとはないことなので。

この一年間年の最後の調整に向けてカラダの調整をしてきて少し良くなったと思ったら後退したりの繰り返しで周りが求めるのは僕の設定しているラインよりはるか上、病気になる前の状態の僕、やってはみるが全然周りが求めているモノにはならない。その悔しさ悲しさ(周囲のレベル以下の自分)が込み上げて来て大仏さんの前で恥かしくも泣いてしまった。

今までも悔しいこと、傷ついた言葉の積み重ねがあっての「大仏さまと向き合う」ことで素直な自分の感情を出てしまったようで、こういう場(奉納演奏中)なので堪えて一人になったときに泣けばいいと思うのだけど全然止めれなくてあの状況下なのでファンの人たちにも見せてしまったのかなと思う。

東大寺LIVE感動報告の親娘リスナーのメールの最後がホッとさせる。

同行の母親は大仏さまには「剛さんのお耳治癒、ついでに娘の良縁」をお願いされて、一番は剛さんだからあんたは二番と念を押された清々しく楽しい報告でした。

「街を歌ってなければね、すんなり(支障なく)終わってたんですけどね」

前日まで迷ってた(歌えば泣いてしまうのが分かってたから)、ステージで涙を流すのは良くないことのように思ってたから・・・泣いてしまうのは悪いことではない、僕の本音はファンに理解して欲しいと常々思っています。家族と同じに理解はしてもらいたい(スタンスで)が周りはそうは思わない「話をしすぎ」とされてしまう。過ぎたことなので「後悔」はないのですけれど、ああいう(歌えなかった)感情になれたのも大仏さん、色々な思いに協力してくだり、話したことをあの日に繋いでくださった東大寺さん館長さんはじめ全ての人々に感謝しています。

また奈良の空の下で歌える日が来たらいいなぁと思います。

♪街(初回Ver)

兜跋毘沙門天

兜跋毘沙門天(東大寺中門東側)外敵から守る多聞天の両足を地べたから支え持つ地天(女神)がいらしゃいます。


RADIO終了後、個人(堂本剛)の本音がこんなに早く本人の声で聞けるとは思わなかった。ファミーリークラブの情報メールに若干クレーマー化していた自分の本意のモヤモヤしてたものが少し晴れた気がした。「音楽と人」の金光編集長の「コオッテタココロガトケタ」あの日、大仏さん、メンバーとオーディエンスが立ち会う中で「本音」の本当の音が聴けたんだと思うのです。

皮肉にもその音は「無音」でした。

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