奈良ライブ東大寺奉納 [奈良ごとLIVE]
UNESCO世界遺産
「古都奈良の文化財」登録20周年記念
奉納演奏会:堂本剛と仲間たち
世界最大木造建築大仏殿を背景にお借りした
ジグゾーパズルに
最後のピースが音を立ててはめ込まれ完成したライブでした
おかえりなさい奈良の野外演奏は八年ぶりです
平安神宮の10年は神道への感謝で合同参拝も定着し無事3日間を終え
本日は民衆の心を一つに結ぶ仏教の教えが可視された日だった。
奈良は感じろ・・・
前にも同じ景色が見たことがある・・・理由は解っていた妄想夢想を繰り返すと非現実が現実にすり替わる「錯覚」を起こしていた。
こんなこと10年も続けていればね。↓マイカテゴリー「平城宮LIVE」
そして始まった・・・ラ カ チ ノ ト ヒ ーピアノ礼賛のsun arrangeでもドラム礼賛のmoon arrngeでもない盧遮那仏礼賛arrngeなのでした。逆さ読みの歌詞はサンスクリット語のごとく心地よく耳に響くまるで声明のようで東大寺さんにこれほど似合いの選曲はない、しかも自分のなかではフェイバリットとくれば足が震える、汗は吹き出る、瞼も大洪水で始まった。
お経、サンスクリット語のようでも意味がわかる!ヒトのチカラ、モドルことがミライなのです。
あとはただただ、大仏さまの尊顔を観相窓から拝顔し剛さんを見守り凝視で眺めるだけでした。
ライヴは大仏さまにお聞かせしたいセットが組れNARA FUNKは平安神宮拡大バージョンでセッション中心に演奏されラストにスタッフ提案の「街」が置かれた。今後東大寺さんでの奉納ライブが回を重ねていくことで「Todaiji」スタイルが確立していくのだと思う平安神宮奉納LIVEがそうであったように。
剛さん自身も「この風景は前にも見た、初めての気がしない」脳内シュミレーションで東大寺さんのステージが染み込んでいるようでした。
剛さん自身も「この風景は前にも見た、初めての気がしない」脳内シュミレーションで東大寺さんのステージが染み込んでいるようでした。
そしてもう一つ振り切れたのが・・・過去にあれほど願い続けた「平城宮跡LIVEへの想い」を自分は捨てようと決めた。夢は思い続ければ必ず叶うのと信じていたが最終段階で「民衆の後押し」があの地では不可能な事。地元住人が騒音として不快なのであればその民意が第一優先なのです。
しかも、この広大な敷地を持つ東大寺さんでは7,000人規模の大音量で演奏が可能なのです。
東大寺大仏の建立の意図が「民の救済と民の願い」で帝の要請で行動する行基さまの苦難の勧進行脚を思うと「奈良県民の支持」無くして他所モンが願っても叶わないのです。
「みんなが望む堂本剛にはなれない」その言葉を聞くたびに、「平城宮跡LIVE」を指しているのであれば尚更です。
ナラフェスへの移行↓もありなのです。
最後に言葉で伝えたのは、この大きな奈良の空の下、東大寺さんの舞台に立てるとは思ってもみなかったこと、ここまでこれたのはオーディエンスの皆さん、関係スタッフ、ミュージシャンの方々、何より東大寺さの皆さん快ろよくご理解頂いたことで幸せな時間に繋がり実現し感謝してます。奈良に生まれてからの今までを思い浮かべながら歌わせてもらいました。
皆様と一緒に大仏様に合掌したいと思います。大事な人を思い浮かべてしたいと思います。
盧遮那仏へ自然な合同合掌
ありがとうございました・・・のつぶやきそのあとに語られた奈良から発信する言葉の数々は胸に沁みました。
奈良に生まれたことで手をあわせ祈ることをして育ちましたが大人になっても続けて生きていきます。大仏さまのいる場所では昔のままの時間があるそのままでいられる最後に僕のすべてといっていいくらいの「街」を大仏さまに聴いて頂くつもりで歌い最後一曲だけ自分の想いを我儘を聴いていただきました。
(本来は「街」歌唱の予定はしていなかったがスタッフからの提案で決心したようです)
東大寺さんで歌うことには迷い、悩みました。仲間たちと決めていったそのメンバー紹介
奈良はとても静かな場所ですから・・・一番良くないのは中途半端にするのが良くない。何千年前からある思想を自分なりの表現するのが役目だと感じてる。奈良に居なくても体には奈良があるので心の中で問いかけながら今日のこの日を迎えました。虫の声風にもこの奈良で生まれたことを歳を重ねるほど幸せを噛み締め感じます。
この奈良でたった一人天に昇れたらいいなぁと思ったりもします。東京に戻ると心眼で人間関係を見ていかないととても怖いのです。「言葉」で伝えるには怖いものです。心では思ってなくても納得されてしまいます。目的のために間違った言葉で伝えます。テレパシーがあれば大人の真意もわかるのだろけどと、コドモっぽいことも考えたりします。
一所懸命「一つの所(土地)で命を使う」な剛さんです。
今できることをするのに添いたい、一緒(当て字)懸命な自分でいたいと願うのでした。
盧遮那仏拝顔で剛さんの演奏を聴く時間は・・・桃源郷でした。
追記:本日よりマイカテゴリー「平城宮LIVE」は「奈良ごとLIVE」へ引っ越します。