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一生一緒にいられる音楽を [RADIO]

生きたいと思ってもらえる音楽
登り坂1662.jpg

急坂で路肩が崩れていて車両優先で道幅が狭いのは大したことではない。

27日のお誘いはヨコハマで顔見知りになり友だちになった看護師のYちゃんでした。
TANKで何回も遭遇するのでいつしか言葉を交わすようになった。
ほぼ剛さんと同じ年齢、剛さんが「看護婦さんが好き」なのを知り准看から正看護師を目指した。
そんな話をしてくれた。

そんな彼女が今回呼んだのは同じ看護師で現在NPOを通じて東南アジアの医療現場で活躍するガンバリ屋さんのHちゃんです。
派遣先を聞いて頭が下がった。

ミャンマー(旧ビルマ)でした。
あの「ビルマの竪琴」で日本でも多くの方が心に痛みを覚える国です。
自分も仕事で短期活動をマレーシアでしていた経験とあいまって意気投合した。
衛生面、体力消耗度、長時間労働、暑さに負けないための食習慣。
自分が仕事をしていた30年前から環境は変わってないのです。

路肩DSCN0155.jpg
マレーシア半島縦断の高速道路はボコボコの穴だらけ、近隣の犬も横断する。
時速100kmでの走行は自己で危険管理をするだけの話、人命より車の方が高額だと言われ衝撃だった30年前でした。

ただ救いはミャンマーもマーレシアも日本に好意的なこと。
70年前のあの戦争で酷い侵略をしたにもかかわらず日本人に優しいのです。
そのことで何かせずにはいられなくなる。

ひさんなできごとなど

あるのがあたりまえじゃない 

これだけのひを

またいできたのだから

この歌で涙が止まりませんでした。
酷いことした世代の子供世代はこの国に力をつけ復活させ、孫世代の彼女たちは自らが赴いて償っている。
剛さんの唄う歌に心を決めてミャンマーと日本で活動している同行者二人が誇らしく思えました。

5日のRADIO放送で「僕の歌で一人でもいいから生きるを選んでもらいたい」
確かに絶望の中で堂本剛の音楽に光を見出すこともあるが
現実に堂本剛の存在は進路の中で「自分を活かす道」を選ぶこともあるのです。
看護師の二人は紛れもなく「堂本剛」に励まされ医療の現場で日々奮闘していた。

自分を活かし剛さんのファンであることに胸を張れる自己形成を目指してた。

自分の周りで永遠に別れが頻発していることが話題になり

Yちゃん:「2月は患者さんの絶命率が高くてね」
自分:「家族でもないのに最後に会話をするのが看護師さんだったりとかあるの?」
Yちゃん:「5分前は会話したばかりなのに、亡くなられたりするとね、、、」
自分:「ご家族に最期を尋ねられるとつらいね」

看護学校でも一番重要な講義は死との向き合い方のようです。
学んでも心が重くなる。
なぜ堂本剛さんファンに「看護師」という職業が多いのか、これはもう理屈ではないのです。
説明がつけられない。
剛さんの持つ歌声と存在の「癒し」は疲弊した現実に再生を与えるのです。

ミャンマーで活動するHちゃんは1日限りのLIVEを体験しこれでしばらくまた頑張れると言いミャンマーに帰っていった。

音楽を提供する音楽出版社がOKを出し、アーティストとミュージシャン、が挑戦しなければ心を揺さぶるリリックもメロディーも届かないのです。
リサーチもマーケティングも関係ないのです。

 

一生寄り添えられる歌を

剛さんは唄ってくれる。

 


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