PINK [RADIO]
Fashion&MusicBook
本日21日東京桜開花宣言、
19日放送のRADIOで聞き落としていた。
PINK唄い直したい
聴きたい。
バックはスタジオオーケストラでは無いのが聴きたい。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
自分じゃ歌わないけど、いい楽曲提供はするもんだ。
先輩が残すこと。 [ココロ目]
1997年5月KinKiKidsのデビューが決まり新設のレコード会社からシングルCDの発売発表があった頃一人の先輩もまた新しい人生をデビューさせていた。
SMAPを脱退、オートレース選手養成所内で落車事故、同期に遅れて卒業しデビュー戦を7月6日に控えてた。。
配属先は川口オートの森且行選手です。
今日、とんでもないうニュースが飛び込んできた。
今年閉鎖の船橋オートレース場のラストランの遠征で参加していた森且行選手が落車した。
先輩の船橋所属大先輩の岩田行雄選手を巻き込んだ事故でした。
観客の撮してた動画を見る限りでは スタート直後一周目第一コーナー前でガブリ、バイクが横転しくの字に体を曲げたままで人形のように放り出され動かない状態だった。
そのままの姿で担架で運ばれる様子が映ってた、心配です。。
昨年の片平選手の訃報と今日の事故にも心痛みました。
20年の時間の経過は人の生きかたの変貌があるのを見せてくれました。
なんでこの遠征なのか、船橋のバンクなのか、岩田選手なんだろう。
片平巧選手との出会いは森くんの養成所時代に岩田行雄選手ともに二人に25期生は指導を受けている
特に片平選手とは対談でも、とても良きアドバイスを森選手に渡してる。
片平選手の言葉に、強くなるために必要なのは自己鍛錬、研磨(バイクメンテナンス)もそうだが速く走りたいなら
「敵をつくらないこと」
成長にはより良き環境を作り、どんな人も馬鹿にしないこと、人は誰でも絶対良いものを持っているからその部分だけ学ぶこと。
「爆音に焦がれて」大泉実成著より
片平選手も更に上の先輩選手から言われた言葉だそうだ。
頂点に立つとたくさんの人が側に来る、同じ道を行く人もそうでない業種や業界に中にも可愛がられるのであれば「伸びる」
養成所で学ぶ若く糞真面目で頑固で意思が強い森の性格を踏まえた素晴らしい話を沢山残してる。
片平巧選手が心血注いだ船橋オートで優勝は森且行にとっても大事な試合になるはずだった。
レーサー人生20thに向かう2016年、1月18日の昔の仲間の謝罪生放送の日は雪によるレース中止、今回の落車とそれにつながる出場中止。
情報も少ない中本日の埼玉テレビ「バッハプラザ』では川口四天王の一人、且元滋紀選手がゲストに呼ばれてた。
森選手の且行の「且」は且元ファンの森くんの父親の希望の命名です。
時代は引き継がれ託された若者もまた次の時代へ残す。
現役引退の特別番組でした。オートのプリンスで鳴らしました。。
且元滋紀選手現役68歳まで走り誠を貫き通した素晴らしい笑顔です。
引退後は「オートレース選手養成所」の教官を希望してます。
RADIO放送日でE☆E10th [RADIO]
アニバには頓着ないのが通例
ひよこリンクコーデ [堂本剛]
毎月14日発売
ひよこクラブ4月号
親子コーデ特集です。
ファッション誌ばりのスタジオツーショットと思いきや、ファミリーピクチャー風な演出。
コーデネイトもとんがってないふんわりフワフワ。
用意された素材のチョイスを任されたようです。
そこにあるのは「剛さんらしい」の数々。
リンクコーデに挑戦、ペアルックじゃないのが救い!
ポンチョは広げると四角い布、コールマンのテーブルセンターを思い出す。
サンカクには、弱みを握られているか。
ベビーとはいえアディダスでしょう。
今までお世話になったモノ・コトは滲み出るのです。
どんな小さなコトにも誠をつくし重ねると見えてくるのです。
見えてたことは心を動かし、変化につながるのです。
続けていること、それが変化になる。
まさかの親子リンクコーデでした。
昭和な商店街 [Ginger Yell]
タンポポ初対面 [二四節気]
丘の上 [ココロ目]
丘の上の「南洋装店」の頑固な職人ichieさんに逢いたくなりました。
もう一人のマリ役の少女の紹介はありますが後半、彼女の存在感と重要な役回りで出番がドンドンと増えて行く。
演技の計算ではなく等身大の想いが表現になり共感を呼ぶ良い例です。
このまま柔らかな女優さんになるのかなァ。楽しみです。
インフルエンザ [ココロ目]
一ゲンさん
コールマンさんで遊んでみた。2016年カタログ↓
http://www.coleman.co.jp/products/catalog2016/#page=1
ギンガムチェック
ランタン
シチューにカレー粉入れちゃうな。
インフルエンザで不在。
やりたい音楽とやらさせたい音楽 [RADIO]
RADIO
3,11が近くなると忘れてない5年を想い、人と寄り添う作品を創りたい。
よりそうリスナーはみなと未来語りのメールが続く。
なぜだか2016年に入ってから時間軸のレンジの見方が変化している。
過去から振り返りや気づきをしないと思っていたがそうでもなさそう
公平ちゃんのギターが好きでプレヤーとして尊敬してる、とか、今まで一緒に組んだ昔のバンドメンバーに対してのノスタルジーを聞けば聞くほど現在が「独り」なのが浮かんでくる。
毎ステージ決めたプレイするのではなくセッションでメンバー、オーディエンスと一緒作り上げていく楽しさをLIVEに求めるとか、「専用のハコ」に通うことで生まれるグルーブが理想形のスタイルと語る。
RADIOで繰り返される話を聞くと「今はそれができてない」と告白されているように聞こえる。
ファンとはピュアに「空で繋がっていると思う自分」と電波に言葉で流さなければ不安にでもなるかのよう聞こえ、まさかのネガティブ思考で聞こえてしまうのです。
RADIOで話すことが不安が先行するように聞こえてくるので思い当たるのは現在が音楽環境の欠落
LIVEとレコーディング以外では仲間との接触が無いとすると通常のメンバー以外とは触れ合わ無いことで不安にもなるのかな。
ドリカムさんにしても、蘭丸にしても10年前は普通に側にいた音楽と触れ合うチャンスが無い、そのことでスキルを気にするそういうことかなと思うのです。
人生の先輩たちから学びを受けていた若い頃と違い、37歳を目前にした剛さんが先輩たちにあらためて「音楽を乞う」ことは難しいのでしょう。
37歳は拓郎でいうと加藤和彦、ZUZUからの提案で音楽を変えた時期に当たる。
その結果「SAMARKANDOBLU」というスタイリッシュでお洒落な安井かずみの詩と加藤がクリエイトするサウンドのアルバムが発表につながる頃です。
清志郎ではCOVERSで物議をかもしたのも37歳。
ぶっ壊して生まれる
影響をくれるアーティストもリスペクトの対象の音楽関係者もいないのなら
誰の力も借りず自分で骨を折り痛みで知る
「ラカチノトヒ」この名盤を超えるためにも
セルフプロデュースで見つけるしかないのです。
自分としては「これだけの日を跨いで来たのだから」の再録は望まない。
この曲はCDの盤の中ではなくLIVEの中だけでその日だけの歌声で聴いていたい。
昨夜の東京スカイツリー名付けられたのは「明花」ラベンダーVerなんだそうです。
やらされてる感を受け取り「忘れない」とはこんなことじゃないと思う。