YOKOSO大御所 [ココロ目]
NHKプレミアム
吉田拓郎YOKOSO
10月18日OA
第一回目ゲスト堂本剛さんに続き小田和正氏登場
テレビ初対談、世紀のツーショットです。
ギター伴奏で歌いながら小田さんの到着待つ拓郎は緊張気味。
「歌で迎えてくれたの・・・」
打ち合わせ無しのブッつけ本番です。
年齢は一つ違い、拓郎67歳小田さん66歳
音楽デビューは1970年これも同じ
ここからは大違い
広島と横浜、広島商科大学と東北大建築学科、デビュー2年で若者のカリスマとコツコツ9年の不遇時代・・・・
要は「太陽と月」「動と静」「情熱と冷静」「ヤンチャと優等生」「光と影」・・・対極的な印象です。
一緒に並ぶと彼らの人生にクロスすることのない、あってもフォーライフがファイブになり得ない。
そんな対談の中に「今だから喋れるね」が続く、お互い距離を置く理由が随所見つかった。
「昔のTV出演は嫌だった」
RADIOにはスタッフ一丸で良い番組を作ろうという気運があったがTVは「出させてやってる」のアタマの固いオトナが動かす時代です。
クラッシック畑のオーケストに一音の狂いにもダメだしがある、どの音なのか解らないくらいの些細な間違いを指摘されてたらしい。
現場のスタッフの世代交代でTVも変わり出演が増えていく・・と冷静に思い出し打ち明ける小田さん。
「嫌なら帰ってもいいよ」
なんてのはザラで頼まれたから出してやってるってことらしい。
拓郎もLIVEのMCでNHKのオーデション不合格をボヤいてました。
審査委員長が藤山一郎さんの時代です。
「小田和正流アルバム制作」
そのNHKさん、持ってます貴重映像「若い広場〜オフコースの世界〜」ドキュメンタリーで音楽作りに密着
小田さん34歳は現在の剛さんと同じ年齢で音作りの映像が残ってる。
アルバム制作に向けてリズムを決めコード進行を加えカタチにしていく完璧主義の進め方がスゴイ。
くり返しくり返し音を探り見つけつなげてゆく地味な作業、曲完成後詩は独りで後から載せる。
800時間かけたアルバム完成後のインタビューで
「録り直したいです」
深夜自宅で孤独に曲作りに励む34歳の剛さんに被ります。
「いい話だね・・・」
これが小田さんが新しい情報を得ると漏らす賛辞です。
「自分のカッコイイの知ってたんだ」
拓郎一人天下を9年眺め続けた小田さんが知りたかったことのようです。
スーパースターを脅かせたのはオフコース、陽水その他のアーティストの存在があったのを率直に拓郎は伝えてくれる。
小田さん
「それもいい話だね」くり返します。
「最近頭か抱え、七転八倒でひねくり出さないと曲が書けない」
それで「がんばらなくてもいいでしょう」なんですかね拓郎。
小田さんの楽曲は無限に湧いているように思っている。
「僕だってスッと書けたことないよ」
君の人生を語らず、いいじゃない・・・」
「人生を語らずはスっとすぐできた」
拓郎の想いが噴出し曲をつくらせていたようで今でも大事な楽曲は
スっとほとばしり出た詩とメロディーに限られるそうです。
ファンの間で名盤と言われるのは恋と別れで拓郎プラベで七転八倒していた年代が愛されてます。
そういえば・・・
公平チャンの教え
「悪女と付き合え」
キヨシローの思い込み
「シアワセではイイ曲作れない」
と言ってました。
「最近ボイトレ始めたんだよ」
拓郎まだ一ケ月で「G」がオクターブ下げずに出るようになったと報告。
「人生を語らず」は29歳の頃は張り上げれば出た「G#」に近いのが出る。
ボイトレって恥ずかしいし億劫だけど効果あると嬉しそう。
来年のLIVEが楽しみな発言でした。
「いい話だね今日いい話いっぱいあったね」
若い頃の声を維持する為喉を守りアスリート並に体を鍛えるミュージシャンは微笑む。
「貢献するした」
世界進出が出来ない日本の音楽、オリコンよりビルボードを目指せと熱く語る拓郎。
坂本九の「スキヤキ」でだけなのは淋しい限りです。
何で日本の音楽は世界に認められないんだと小田さんに問いかける。
バッサリ
「必要とされてないんだよ」と小田氏
大事なのは亜流でないオリジナルな音を目指すアーティストの不在を指摘。
「僕にはないけどそう君が思うなら行動しなよ」
拓郎の夢想する自分の音楽をボブ・デュランに歌ってもらえたら・・・そんな夢がまだ彼にあるのがチャーミングでした。
そうだよね、スティビー・ワンダーが「愛しのエリー」を歌った実例もあるんだし出来ないことじゃない。
日本の人がよろこんでもらえる歌を作りたいんだ。
クールに分析し解り易くコトバを適切に考えて話す。
小田さん「いい話ありがとう」です。
小田和正氏が残したの「貢献」とは音楽を目指す後輩、良い音楽を求める人々の心を向けている眼でした。
今年は「ジョンレノン音楽祭井上陽水参加」もあり大御所がメディアで本音を語りだしたウネリを見ました。
TVを変えたオッサンたちはこれからは日本の音楽も変えていく潜在パワーを感じるのです。