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三世代 [堂本剛]

硝子の少年

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デビュー曲が当初の作品から昭和歌謡メロディー調の「硝子の少年」になったいきさつは会社側の要望項目に


「ミリオンでお願いします」


この一項目が「親世代にも買ってもらわねば・・・」達郎先生は追いつめられた。。。。

その結果がスィングウェスト「雨のバラード」赤い鳥「目覚めた時には晴れていた」野口五郎「私鉄沿線」の流れ・・・マイナーコードのキュンキュンする昭和歌謡曲のメロディラインに差し替えになった。

その結果母親世代は曲調に、子供世代は二人のヴィジュアルに落ち、親娘応援がスタートした。

月極めお小遣いでは足らない高校生も「KinKi Kids」なら別枠、ファンクラブ会費、CD、CVD、雑誌と家計費からよどみなく出ることになった。

安心の「優等生デュオ」でした。

娘の付き添い顔でドームコンサートに通い、もっと近くで見たいので地方遠征にも足が向く。

親娘なら安心の遠出、親娘なら世間体にも「仲良し」で都合もよく娘がいなくても若年ファンは皆親切な良い子でした。

20年経過で娘も家族構成も変わる。

娘の子供たちは「親子席」で生まれ時からKinKi Kidsの洗礼を受けた三世代目の登場になる。


高校生でKinKi Kidsファン歴17年です。

生まれる前からDNAにしっかり刷り込まれいる。


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「2丁目3番地」日本テレビ


その逆バージョンが始まってる

TV局も視聴率が欲しい・・・で昭和の大御所脚本家が動く

'71グランド劇場「2丁目3番地」の脚本家倉本聰・ドラマの主演でTVプロデューサー役の石坂浩二・妻で美容院経営の浅丘ルリ子サン、この元夫婦が平成に「やすらぎの郷」で仰天の共演復活。

46年経つとオフレコも事実もゴシップもなんでもありで、人気なのです。

ガッツリ高視聴率なのです。

ドラマ「2丁目3番地」の挿入歌「さよならをするために」ビリーバンバン(作詞:石坂浩二)もキュンキュンものでしたが主題歌「目覚めた時には晴れていた」は赤い鳥のCD音源がないのです。

不滅で46年経っても誰も忘れない、消えない記憶の底で流れてる。

CDで残せる幸せを今年思う

「赤い鳥」が歌う「目覚めた時には晴れていた」記憶の中でオボロゲにしかに残ってない。

あの・・・・2001年コンサートかな、TATーTUNのとパフォーマンスの記憶と同じです・・・


ユビニ ヒカル ユビワ

ソンナ チイサナ イシニ

ミライゴト ウリワタス

キミ ハ カメナシ


外には出ない内緒の替え歌を提供者先生に恐縮しつつ歌ってた。


20年を知るのです。

山下達郎に「オトナになっても歌える楽曲」と渡された「硝子の少年」は高齢者になっても支持されるメロディとリリックなのです。

でも、

三世代目の彼女たちにしかそれを確かめることができない。

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