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ジュリー [ココロ目]

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本日、沢田研二のお誕生日、古希で70歳です。

唐突のようだがワケありで最近実家からLP,EPレコードを少しづつ運んでいるが、借りたが返したと思い込んでた沢田研二全集(1977年12月15日リリース)なる豪華化粧箱入り5枚組が見つかり呆然とした。

返してなかったんだMちゃんのお兄ちゃんに・・・。同僚のMちゃんではなくその「身内」ということでことさら本当に申し訳ない。かれこれ半世紀の借財だよ〜〜音楽好きにとっては「宝物」なのだ、よく解る・・・・聴きたい時に手元にない悔しさはまして5枚組の名盤です。

かれこれ半世紀経ち今頃になって日本の音楽界にどれほど沢田研二に傾倒しているのかよーやく解るようになりました。女の子のキャーキャーだけでなく男子もココロのそこで「憧れていたんだ」が解るし拓郎もイエモンの吉井和哉、ソロ活動中のバンドメンバー吉田建、アレンジャーの船山基紀氏も帝劇SHOCKのエンドロールに見つけてジワジワジワと沢田研二ワールドが次世代に受け継がれているのを感じた。元々京都出身のROCKバンドが東京に呼ばれフリフリブラウスの王子さまでグループサウンズで一世風靡。しかも国民的アイドル巨星です。しかもバツグンの美貌と美声デビューで「女の子名」の呼び名与えられた。サリー、ピーは京都ファニーズ時代のまんま、TVデビュー直前に所属事務所社長W氏命名でトッポ、決められない一人はそのままタローそしてお気に入りの沢田だけM副社長が名付けた・・・とある。あのころミュージカル映画の世界的スーパースターで業界人がひれ伏してた「ジュリー・アンドリュース」にちなんで・・・といかにもな命名です。同い年で仲良しさんだからJ事務所M副社長も愛娘にジュリーにしたんかなぁ偶然の必然です。あの時代女性では「サンドオブミュージック」男性は「ウェストサイド物語」この2本の作品でミュージカルが急速に日本の芸能ジャンルに浸透していった気がする。

改めて沢田研二大全集に漂う昭和と作品に関わるミュージシャン仲間をみていると次世代へ受け渡す役割の名前が見つかる。今年は昨年ムッシュ追悼番組で心の込もる言葉を残してくれた井上堯之(愚か者の作曲)も今年5月2日に天へ召された。ジリジリとノイズの入るレコードを聴いていると有形無形でジャニーズとの関わりがわかるのです。


平成が来年で終わり「昭和レトロ」はどれだけ神格化し作品に残るのだろう。軟派に演出されたアイドル「タイガース」から硬派な社会問題を歌うロッカーなシンガーに変貌する沢田研二を支え続けるのも「元タイガースのジュリーファン」なのです。


綺麗な時の頃を過ぎても声と信念が応援されている。

30年後・・・だね。

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