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雨と風に負けてた [shamanara]

雨ニモマケズ

宮澤賢治の郷里の方が近鉄奈良駅前に寄贈された詩碑
雨ニモマケズR0159298.jpg
風雪に負けて詩が読めない。

今回の奈良行きの3つの目的
・平城宮跡第一次朝堂院の工事の現状を見る
・正倉院展で国のタカラを見る
・宮澤賢治の詩碑を確かめに行く
その最後の宮澤賢治の奈良との関わりを再確認してきました。

見つけましたが
この崇高な詩を思うとなんか・・・申し訳ない。
岩手県民が見たら、泣くなぁ。
岩手県人でない自分も悲しかったです。

句碑R0159299.jpg
設置場所は行基広場の片隅でさらに肩身が狭いです。

国の禁を破り民衆と豪族層に布教と開墾開拓の指導を行った
行基さまの背後でひっそりとしていました。
農民の生活向上に実践され民衆に絶大な尊敬を持たれた行基さまです。
賢治自身も法華経に深く帰依し生涯仏教に行動指針を持っていたことを考えると因縁の配置です。

銅像R0159301.jpg
偉大な先駆者の背中を見つめます。

この行基広場にも六本の太い柱が建て屋根を増設するらしい。
行基さまを雨風から守るというのらしいが
「うっとしい」のだけは困ります。
ささやかな広場が狭くなり
宮澤賢治の詩碑と奈良の関わりは
さらに埋もれてしまうんだろうな。
 
肉眼では無理なのでフォトショップで洗っても読めないのです。
句碑aR0159300.jpg
デジタル加工でかろうじて読めるが、詩を熟知していないと読み解きできないと思う。

大衆のもっとも愛する詩人が生涯で二度訪れ眺めた奈良はどんな
インスピレーションだったんだろう。
作品の中にも影響を与えたのだろうか。
少なくとも自分の作品の中でもっとも国民に愛される詩が
奈良でもっとも人出の多い場所で
人目につかないように捧げられるとは思わなかったでしょう。
これが現実でした。


純朴な詩です。

 
 
雨ニモマケズ
宮澤賢治
 
(詩碑の刻印分)
 
 
雨にもまけず
風にもまけず
雪にも夏の暑さにもまけぬ
丈夫なからだをもち
欲はなく
決して怒らず
いつもしずかにわらっている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜をたべ
あらゆることを
じぶんをかんじょうに入れずに
よくみききしわかり
そしてわすれず
野原の松の林の蔭の
小さな萓ぶきの小屋にいて
東に病気のこどもあれば
行って看病してやり
西につかれた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北にけんかやそしょうがあれば
つまらないからやめろといい
ひでりのときはなみだをながし
さむさのなつはオロオロあるき
みんなにデクノボーとよばれ
ほめられもせず
くにもされず
そういうものに
わたしはなりたい
 
 
(賢治の手帳の走り書き原文)

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾(欲)ハナク
決シテ瞋(怒)ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
 一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキ(見聞き)シワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ(陰)ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮ(喧嘩)ヤソショウ(訴訟)ガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリ(日照り)ノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボー(木偶の坊)トヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ



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