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音を紡ぐ人 [奈良ごとLIVE]


音楽と人11月号

堂本剛

痛み流す涙

盧遮那仏8070.jpg

金光裕史編集長登場

平安神宮、東大寺奉納ライヴの貫通エッセイはファンの聖域の琴線をかき鳴らされたテキストでした。

満を持して、という表現がピタリとハマる金光編集長による深遠な洞察レポートです。「奉納ライヴ」と表現するも、捧げる対象も捧げる意味も不確かなままだった平安神宮ライヴが今年になって昨年亡くなられた九条道弘名誉宮司とのエピソードから、平安神宮が桓武天皇がご祭神(京に都を移し平安京とした天皇)古事記の神話の古代からつながり現代も象徴として今上天皇の平成の音楽を通して報告するライヴなのこと、一転して奈良東大寺では平城京の仏教伝来で中国から得た仏像、声明(仏教の聖歌)法螺貝、笙、晩鐘をMixした音楽を盧遮那仏に聴いていただくライヴであったことが2018年に理解したところでした。「音楽と人11月号」はそれをはっきりと文章で読むことができる。私たちオーディエンスも「奉納ライヴ」をたんに会場が神社仏閣だからではないことを自然に学び今年の奉納ライヴに参加する姿勢があることも書き残してくれていた。

そして・・・東大寺さんの涙、MCで本人が「スタッフから言われて・・・街を選んだ」の懺悔を聞いて、周囲に強要されたと捉えていたがそれは剛さん流の照れかくしだったのが分かる。金光編集長が心の様を訳した163頁にライターの力量なのか間近にいる真実の力が文章にするのか素晴らしい洞察力とキャパシティ力のある言葉の数々に心をうたれます。

歌声の途切れた数秒は観客席の自分は息が止まり少なくともA6ブロック周辺は静寂で背後から押し寄せる拍手に連鎖しての拍手でした。それだけは自分の記憶とは異なる風景で観客席からの歌声はなかったように思う。

読み終えて、雑誌名が「音楽と人」なのを今号ほど感じたことはない

平安さんの水芸とリフター、東大寺さんのマッピングとリフター消えない美しい記憶が正しかったこと紙焼きで残してくれたWatanabe Kazuki氏に感謝です。

映像で残して欲しい気持ちとあれだけの感動を果たして作品として残し切れるか、要望のハードルは高いのです。








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