埃・塵・煙になる魂 [shamanara]
大神神社の大鳥居と駐車場
埃、塵、煙と儚いものへの心。
最近見たシネマ「はじまりの旅」(主演:ヴィゴ・モーテンセン)
仏教とキリスト教の概念の相違で謎が一つ溶けた。映画の内容は改宗し仏教徒になった妻が亡くなり遺言で火葬と散骨をして欲しいと書き残した。妻の両親は教会で「普通の葬儀」をするので娘の遺族の参加を認めない。文明社会と隔離したサバイバルな生活を六人の子供達とする主人公は妻の遺言を決行をする為に奥深い森を出る。愛する妻、ママの最後の希望を叶えるために土中の棺桶から遺体をさらい海辺の丘で家族だけで火葬し煙として天空に見送り散骨も希望通りに果たす。妻の台詞の中に「暗い土の中に埋めるのはやめて」この一言で洋画にゾンビ映画が大量に制作されるわけはコレなんだと不思議が解けた。肉体がドロドロに腐敗し土の中から這い出し人々を襲う恐怖を繰り返し映像にしている理由です。亡骸は火葬で煙となり空へ昇っていくと通常考える日本人には無い概念です。肉体は消えてもヨロズの神となり自然界動物、植物昆虫と、ありとあらゆる物体に神が存在する日本では「風」「蝶々」「桜」に亡き人々の気配を感じ取る精神性があり「亡骸」は土の中にはない。「はじまりの旅」はキリスト教圏ではこの違いの理解は難しいのではと思う。サンダンス映画祭プレミアム公開、「第69回カンヌ映画祭」では「ある視点」部門出品、最優秀監督賞をマット・ロス監督は受賞。
奈良生まれということで神仏が身近にあることが影響をあたえてる。仏教的思想、神道的思想の哲学が「埃」「雨」「空」に形容され剛さんの楽曲へ昇華されていくんだ・・・と。shamanipponで東儀秀樹さんとの笙・篳篥・竜笛の雅楽、太鼓、琴、琵琶などの和楽器を聞くことで見せてくれた経験もあり剛さんファンの自分も自然に感じ取る力も持つようになっていたのだと思う。それを再認識させてくれたシネマでした。
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