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1965年の武道館 [奈良ごとLIVE]

6月30日です。
50年前のビートルズ日本公演を書く日です。
大人の難関突破が実現した伝統の館コンサートです。
大人って勝手だよ、青少年の武芸の聖地で音楽をするのはもってのほかと正力松太郎氏がごねてた。
↓いきさつをmemo
http://endli9cheri12.blog.so-net.ne.jp/2007-08-19

今年新しいことが分かった。
ステーヴさんがツブヤイテくれた。
前年の1965年にお父様が武道館で公演をされてた。
ニューヨークの伝統あるカーネギーホールで日本人で二人目の快挙、琴演奏公演を成功させたステーヴパパの凱旋公演が武道館だったのです。
その後の衛藤公雄家元への支援を読売グループがメセナを果たしてしたのか追求したい。
要はくクラッシック、伝統和楽器の前例があってもポップスは音楽とは見なさないとういうブレのあるビジョンで「乞食芸人」呼ばわりなのです。

あの日、ビートルズ公演に行った姉からはドキドキするような感想はなかった。
母親に学校に仮病の電話をかけさせ、親父にはコネ探しまくって手に入れたチケットのその後の印象が薄い。
かなりあとになってTV放映された画面はポールのマイクがアッチ向いてはポールが直すというイラッとするどアップな映像とあまりに短い歌いっぷりでサクサク終わった、それしかなかった。
ギャーギャー騒いで音楽どころじゃないファンに辟易していたLIVEはファンにも聞こえてはいないし聞こえることもしてなかったようです。

ステーヴパパの心を打たれる「OMOIDE」
2012年の訃報にレナードさんがHPに上げてくれました。

ステーヴさんのお父様の偉業に追いつけないとツブヤかれてましたが日本で初めて野外フェスしかも世界の一流アーティストが参加したフェスに衛藤兄弟は出演しているのです。

memoから
「GME '94 (The Great Music Experience '94) あをによし」
伝説のロックフェスティバルが奈良大仏殿前で行なわれました。
剛さんの年齢が当時15歳の5月20日~22日の開催でした。

プロデューサー:ジョージ・マーティン
海外参加アーティスト:ボブ・ディラン、ジョン・ボンジョビ、インエクセス、フィル・パーマー、マイケル・カーメン、ロジャー・テイラー(クィーン)
日本アーティスト:玉置浩二、喜納昌吉、近藤等則、X-JAPZAN(バンドメンバーに布袋寅泰、スティーヴ、レナード衛藤兄弟も参加
http://www.leoeto.com/profile/
             
シルクロ-ドの最終地点が奈良であることからユネスコの肝いりで実現したLIVEです。
日本から参加した喜納昌吉が『花』を歌いはじめたときに、霧雨が音も無く降り始め、歌が終わると同時に霧雨は止みました。
霧雨は大仏さまの御顔を濡らし、「大仏が唄に涙を流された」と話題になりました。
欧州(英国中心)に「オキナワブーム」が起こり「オキナワsong」が海外の人のハートを掴み「大和」より先に「沖縄」が受け入れられた。
喜納昌吉氏はジョン・レノンとも繋がりがありましてヨーコさんからの信頼もある方です。
現在日本中で開催されてる地方型、都市型含めサマフェスの原点はNARAにあったのです。
日本のロックフェスティバルの聖地は奈良で、奈良から大和を世界へ発信するのが似合うのです。

lpレコード.jpg
プレヤーを購入したのでLPレコードを探す楽しみが増えた。
衛藤公雄:日本の音楽/琴の調べ

 

ステーヴさんが奈良住人ですもん、時代は回るのです。

 

時代の立会人は文章で残してます。

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  • 作者: 西田 浩
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2007/07
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