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宮澤賢治と奈良 [shamanara]

 shamanippon的ガイドmemo
ささやきの小径

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月あかりまひるの中に入り来るは

馬酔木の花のさけるなりけり

 大正十年四月奈良公園にて宮沢賢治

 

宮澤賢治の「雨ニモマケズ」の句碑が岩手県出身の方の寄贈で建てられ
近鉄奈良駅前広場の片隅にあるのだそうな。

このことを知って嬉しくなる。
宮沢賢治は生涯に2回奈良を訪れている。
最初は20歳で盛岡高等農林学校の修学旅行。
次は父親と「伊勢参り」で足を伸ばし京都、奈良に訪れる。

奈良で詠んだ短歌に「月」があるそれも嬉しい。
真昼の明るい日差しの中に紛れ込む「馬酔木』は月明かりのようだと歌う。
奈良公園に馬酔木が沢山咲く理由はこの葉に毒性があり「馬」を寄せ付けないこと。
鹿はこの葉を鹿は食べない。
馬がいないことで鹿には安息の地となる。
この奈良公園で馬酔木は生い茂り鈴蘭に似た房の花をたわわに咲かす。

奈良への父親との長旅が「銀河鉄道の夜」の草案になったとしたら更に嬉しい。
星めぐりの銀河鉄道の旅を通して体験する神秘の物語。
病気の母と漁から戻らない父親、家計を助ける貧しく健気なジョバンニ少年が、
親友カムパネルラとの銀河鉄道で体験する出来事と、
星祭りの夜に親友がいじめっ子の少年を助けたあと川にのまれて亡くす。
自己犠牲の中に「本当のさいわい」があるのに気がつく。

「世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」の思想が
奈良の風土からのインスピレーションきてるのだとしたら
この不滅の物語は「くに」のはじまり地、奈良へのオマージュに思える。
奈良にインスパイヤされたと思いたいです。
それにしても四月だと奈良公園は桜が見事なはず
時期がずれて咲いていなかったのか
あえて馬酔木を選んだか
賢治の感性では「馬酔木」が月になる。

20120930R0158453.jpg
20120930R0158453.jpg本日の台風直撃で雨雲が一掃された十五夜からは
馬酔木が自分は浮かばない。
次の機会には馬酔木を見に春日大社二の鳥居から
高畑町に抜ける『下の禰宜道』通称「ささやきの小径」
を歩いてみたい。

森は何かを教えてくれる。

 

 









農民芸術概論綱要

宮沢賢治




序論

……われらはいっしょにこれから何を論ずるか……

おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい
もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である
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